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元うねべ小学校マーチングをやってた人へ
畝部小学校マーチングバンドは、大会初出場でいきなり全国大会出場を果たし、その後12年間連続で全国大会で演奏してきました。前半は、某校とトップを競い、他の全国出場校とは一線を画すハイレベルな強豪校だったという時代がありました。ユーチューブで昭和のマーチングということで初出場年から6年分だけがアップされています。
まとめて見られるようにしました。画像をクリックすればyoutubeに飛びます。
自分達がどんなすごいことやってたか、思い出してみませんか
偶然ここに辿り着いた人は、元友達に連絡してください。
1年目 初めて大会に臨み、三河大会、中部大会を勝ち進み、いきなり最優秀賞で全国大会へ。このような音楽の大会は、通常何年も挑み続け、やっと全国ということが多い。また、全国へ出ても単発だったり数年で消えることも珍しくないが、畝部は、初出場以来10年以上で出続けたのも稀な存在だったかも。
畝部が登場する前まで全国に出ていた学校のレベルを今になってyoutubeで確認すると、あまりのハイレベルの生意気な畝部が蹴散らした感は否定できない。
2年目 これまで他とは比べ物にならない圧倒的な有名校の某校のトップの座をいきなり2年目の畝部が抜いたかもと言われた全国でもトップレベルだった。当時、全国での優秀賞は、1校だけという制度で、トップではなかった。2位か最下位かはわからないが、だれもが僅差で2位が畝部と言われていた。

3年目 12年間の中で最も素晴らしい演奏・演技だった。クラッシックの中でも難曲の「火の鳥」からのアレンジ、演奏力、ドリルの素晴らしさ、カラーガーズの振り付け、演技、斬新な衣装どれをとってもこの年を上回ることができないほど。圧倒的な迫力・貫禄の存在感があつたようだ。

4年目 演奏する曲もオリジナリティーを出してきた。1.2年目まではマーチング用の輸入楽譜のまま演奏していた。3年めの「火の鳥」はクラシックの独自のアレンジ。4年目以降からは、演奏時間全体をひとつのテーマをストーリーを持たせて1曲としてアレンジし、全く他にない畝部独自の音楽の世界を創り上げるようになった。

5年目 火の鳥に続き、クラッシックのアレンジだったが、「木星」だけはマーチングでも取り上げられることは多かったようだが、全体が「惑星」でまとめた曲は、世界的にも後にも先にも畝部以外にはない。動きを伴う音楽は、2・3・4拍子が通常。ところが変拍子でしかも高速に動くマーチングにした。もはやクレージーであり、強豪校なりの挑戦で、他校の演奏が子どもっぽく感じた。それでも難なくこなした子どもたちの無限の可能性には、感心するほかなかった。

6年目 3年目の「火の鳥」が演奏など総合的に最高峰だった。しかし、一つのテーマを音楽やあらゆるマーチングの表現力を独自に一つのテーマで表現した「ドラキュラ」は、ストーリー性、アレンジ、振り付けなど総合的な面では、12年間の中の最高作だったのではないだろうか。ほとんどのマーチングは、いろんな曲を並べているだけ。「ドラキュラ」は、だれもがまるで演劇の世界に入り込むようなストーリーとして、具体的に感じ取られた傑作だったのではないだろうか。
 
7年目以降のyoutubeは掲載されておらず、個人的にも映像も持っていないので掲載できない。

7年目 大地の詩

国体出演に関連して大きく時間をとられ、練習時間も取れず、弱体化した。頭のおかしな審査員が一人いたこともあり、前半の畝部の勢いは失い始めた。曲も壮大さを失ったアレンジで指導者の心も国体に削られた。
全国へ行った後半は、さまざまな要素が積み重なり、それまでの強豪校ではなくなっていった。

8年目 大航海時代

7年目以降演奏力の衰退が続いた。しかし、この原因にゆとり教育が叫ばれ、部活動の制約・制限が全国的に始まり、特に愛知・市内は顕著で各小学校から部そのものがなくなり始めた。大会の参加校もわずかになり、寂しい限りとなっていった。それまでも畝部も「こんなにメンバーも揃わないで練習してるのによく全国へ行けるね」とただでさえ全国行ってるバンドとは思えないほどの練習しかできなかったのに、さらに練習もまともにできないほどメンバーは集まらず全員揃って練習したのが大会前の1回だけというのが実情になっていた。演奏力の低下の原因はこのような環境面での逆風・衰退が元にあった。

9年目 童夢 Twinkle O-kids

6年目までは学校あげて盛り上がっていた。が、ゆとり教育が始まって、いやゆとりではなく、遠足も運動会も学芸会も何もかもゆとりのためと狂ってるとも言える拡大解釈で教育活動が消されていく「萎縮教育」が浸透していっていた。バンド活動は、学校は支援するどころかゆとりのために排除しようとするようになり、支援は、保護者の手によるという終末期を迎えていた。

10年目 DCADE(10年間)

ごく一部の先生と保護者でなんとか10年目を迎えた。しかし、大会そのものも観客もパラパラのおそろしい衰退ぶりだった。9問目には、萎縮教育に狂ってしまっていた学校からも部活動はもやめようという体制に変えられ、10年めで最後になる前提で大会を目指した。曲も10年間の最後を意識して集大成としてDECADE(10年間)とした。指揮も元メンバーに任せ、最期の力を振り絞って、息も絶え絶えといった感じで全国に出た。

11年目 スターウォーズ 地域のバンドTwinkle O-kids

部活動は消えた。これまで多くの子は4.5.6年生と3年間全国を経験して卒業していたが、部活動がなくなったその時の4.5年生も3年出たいという。学校から潰されたことで保護者が中心となって地域のバンドを結成した。区長や校長も役員として形を整え、幸い市役所の力も得られた。新4年が入ることはなく、中学生となった2.3人も参加した。そうなると小学校編成ではなく、ほとんど小学生がメンバーだが中学校編成で大会に臨んだ。指導の手伝いや指揮も元メンバー。大会に出てもまわりは大きな中学生ばかりで大人数。有力校がいる。全国など行けるはずもなかった。しかし、成績発表で名が呼ばれたのは、まさかのTwinkle O-kids。全国大会でもちびっこが中学生バンドの中で演奏した。

12年目 ロミオとジュリエット 地域のバンドTwinkle O-kids

新たなメンバー加入もなく、地域としてのバンドも最後になった。中学生の中ではもう無理だろうと思われたが、またしても全国に行けたのは不思議でもある。個人的に指導者として12年大会を目指して全て全国大会に出られた。全国に出られなかった経験がなかった稀有な存在だったかも。
この年がマーチング最後の年となって終えた。


その後、20名ほどのステージバンドとして2025年まで25年ほど活動は続いた。多数のシンセサイザー、ドラムセットが加わり、けっこう派手な演奏をするバンドだった。しかし、小学校は部活をしない、中学校も吹奏楽継続が難しくなる時代になり、メンバーもどんどん減り、ステージバンドの継続も限界を迎えて、すべての音楽活動は終わった。



「昭和のマーチ」というサイトを立ち上げた人に感謝しきれない。記憶を呼び戻してくれた。さらに美しくデザインされたサムネ。畝部には、すべてサムネをデザインしていただけた。他は1校ごとの映像なのだが、作者は「火の鳥」あたりのすごさに感動した一人だろうか、当時の2大巨頭+1校の3校だけを「圧巻」という強烈な一言感想をタイトルにしてまとめた動画を作成していただけた。
 畝部や某校のような小学校が活躍してすごかったという時代は、長いマーチングの世界でも当時だけだったようだ。さほど光を浴びることはなかったが、そんな突出した時代の中心に畝部がいたことは、少しでも多くのメンバーに改めて知ってほしいと願っている。

地区大会は、最優秀賞を得た学校だけが全国出場権を得ていた。全国大会では、賞の制度は、金銀銅のように安定した制度ではなく、1校だけが「優秀賞」受け取ることが多かったように記憶しかなかったが、このyoutubeの映像で数校が「優秀賞」を与えられていたこともあったことを知った。
ちなみに三河大会では、1校だけに与えられる「特別賞」のような賞は毎回、東海大会では、すべて最優秀賞だった。
後述
マーチングの世界から離れ何十年経っている。マーチングのことは頭からすっぽり抜けて消えかかっていた。youtubeで「昭和のマーチ」のサイトが立ち上がり、過去が甦ってきた。過去を振り返らない主義だったので、畝部の映像を見たことがなく、youtubeで「こんなんだったんだ」と初めて客観的に見た。読むこともなかった「マーチングで輝いた子どもたち」という書籍、封も切ってない10年間の演奏をまとめたCDの存在も確認した。パラパラとプログにも書いた。極めて詳細が書かれた書籍を買った人やブログを読んだ人は、絶滅危惧種ほど少ない。ここで大まかに記録することで畝部のマーチングに関わった子のために自分が関わったバンドの変遷の記録の中のどこにいたのかを知ってほしいと思った。自分にとってもどんな人生だったかを振り返ることにもなった。ほんとは、書籍に書かれていた個人やみんなの具体的な記録を読んで振り返ってほしいとは思うが、無理なので、せめてここで大まかな記録を見てほしいと願っている。
ふりかえってみると、誰もが経験できるわけでない年月を過ごした。本業は本業としてけっこう熱血だったと思う。さらに大会だけでなく、さまざまな大会や場で演奏し、毎日が綱渡りのようで派手な活動に多くの力と時間を過ごした。「こんなに中身が濃かった時代もあったね」「けっこうやるじゃん、私って」と懐かしみながら、今の薄っぺらな余生を送っている。
年寄りがやりがちな若い頃の自慢、武勇伝・・・というつもりでここに残すわけではない。マーチングやってたことを人に自慢するどころか、口に出して話すこともなかった。記憶からも消えかけていたところにyoutubeの映像をほぼ初めて見て、刺激もなく、薄い日頃ながらも、「こういう時代、自分そしてたくさんの子どもたちと楽しく中身の濃い時間を過ごした幸せな教師だったんだ」と自信と誇りを持てた。
当時のメンバーは、のべ約700人。今、それぞれを生きている。「普通の小学生では経験できない多くのことを経験できたんだよ」と改めて言いたい。自信を失っているような子がもしいたら、がんばって充実していた頃、楽しみながら経験、成長できたことを思い出してほしい。それぞれ当時の経験がどう今に生きているのかは知ることはできないが、何らかの形でその後に役に立っていたことを願うばかりである。いや、どこかで役にたったはずだ・・・と思う。そして誇りに思ってほしい。